パワーのある体から痛烈な打球を放つ右の大砲候補。 2年夏は6番をうち満塁弾などを放って甲子園出場に貢献、2年秋の新チームからは4番として痛烈な打球のホームランを放つ。
履正社時代の明治神宮大会ではキャプテンを務め、チームを優勝に導きました。若林はその後慶應義塾に進み、当時の主なチームメイトで東京六大学連盟所属では明治に竹田、立教に片山がいました。その他では千葉ロッテに安田がいます。
日ハム 北の大地の星となれ