引退中の評価
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(評価なし)
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2023年 |
12月- |
引退
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オリックスバファローズでの評価
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(評価なし)
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2019年 |
4月- |
オリックスバファローズに進む
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阪神タイガースでの評価
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2016年 |
4月- |
阪神タイガースに進む
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熊本ゴールデンラークスでの評価
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2014年 |
7月 |
ホンダ熊本の補強選手として都市対抗出場
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2014年 |
7月 |
ホンダ熊本 補強選手として都市対抗出場
竹安は6回2死三塁という大ピンチの場面でマウンドへ。6回の時点ではHonda熊本にとっては4-0、野村の前に突破口を見いだせぬ状況。「ランナーを2人出してもいい、とにかく点を取られないでくれ」と言われベンチから送りだされたという竹安は、傍目には普段と変わらぬ飄々とした雰囲気に見えました。打席には6回までに3安打と当たっていた3番・中西良太。しっかりと腕を振って投げたボールで早々に追い込むと、最後はサードゴロに仕留めます。ストレートの最速は145キロを記録。1/3回とあっという間の都市対抗でしたが、上々のデビューだと思います。 試合後、竹安に話を聞くと、「高校野球とは違った雰囲気で、こんなに声援を受けているのは初めてというか…気持ちよかったです。最後は勝てるかと思ったんですけどね」と悔しさをにじませつつも、明るい表情。自身のデビューについては、「あっという間で、何が何だかわからないうちに終わっていました。緊張しましたね、かなり。とにかくしっかり腕を振ることだけを考えて投げました」と、実は相当緊張していたそう。最後に、「来年は自分が引っ張って、熊本ゴールデンラークスで出たい」と東京ドームに帰ってくることを誓ってくれました。
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2013年 |
5月 |
JABA九州大会の九州三菱自動車戦で2失点完投勝利。
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2013年 |
4月 |
http://tsukasa-baseball.cocolog-shizuoka.com/blog/2013/04/post-12f4.html
試合は1-0で日本通運リードのまま進み、9回表に熊本ゴールデンラークスが2点を奪い逆転したものの、日本通運はその裏に1点を加え同点に。そして、10回にはタイブレークが行われ、熊本ゴールデンラークスが5-2で勝利しました。 熊本ゴールデンラークス先発の竹安は5回3安打2四球1失点としっかり試合を作り、勝利に貢献しました。相変わらずしなやかな腕の振りに、手首も柔らかく使えているのが好きで、ブルペンからじっと見つめてしまいましたが、ちょっと球筋がばらけている印象。試合に入っても、序盤は特にストレートが外れることが多く、初回はいきなり2死一、三塁のピンチを迎えました。しかし、後続をたち無失点。2~4回は尻上がりに調子が上がったかんじで、エラー以外の出塁を許しませんでした。5回に先頭打者に四球を与えたことから、タイムリーで1点を失いますが、そこから立て直してこの回をしっかり投げきりました。 ストレートは130キロ中盤~後半が多かったですが、141キロもマーク。新しいフォームを作っている最中だそうですが、キレはありましたね。社会人の強打者たちがストレートにつまっていたのには驚きました。
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2013年 |
4月- |
熊本ゴールデンラークスに進む
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伊東商業高校での評価
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2012年 |
7月 |
■忘れない夏’12
◇病気克服、みんなに感謝−−伊東商(3年)竹安大知投手
伊東商の選手として最初で最後の夏の大会。この日、マウンドに立てる喜びをかみしめながら、全力で投球した。共に汗を流したチームメートや支えてくれた両親、地域の人々のために。
伊東市内で小学校から野球を始めたが、さらに上を目指し、高校は東京都内の私立校へ進学。しかし、1年の夏、練習試合での制球の乱れなどから投げることに恐怖を覚え、イップス(精神的要因による運動障害)と診断された。4球連続で死球を与えたり、5メートル以上投げられなくなったりもした。このまま野球を続けられるのか。父・建さん(45)から「お前は3年生となった時に、野球ができているのか」と言われ、地元に戻って野球を続けることを決意した。
1年の秋、伊東商に転校した。野球部には顔なじみが多かったが、突然の転校に、当初チームメートは戸惑った。しかし、徐々にチームは一つになった。環境の変化やカウンセリングで、イップスも克服し、2年秋から公式戦に登板。そして最後の夏を迎えた。
今大会は3回戦まで全て完投。この日は5点を取られたが八回まで力投した。「伊東商で野球ができて、本当によかった。みんながいたから今の自分がある」。敗れたが、涙はなかった。今の環境に感謝しながら、今後も野球を続けていくつもりだ。
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2010年 |
4月- |
伊東商業高校に進む
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2009年 |
8月 |
静岡県立伊東商業高等学校 転入
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2009年 |
7月 |
二松学舎大学附属高等学校 転校
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2009年 |
4月 |
二松学舎大学附属高等学校
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