小林敦選手の実績
静岡県島田市出身で小学校3年生から野球を始め、東海一中学校(現東海大翔洋中)では全国でも強豪の野球部に入部した。
東海大相模高校に進学すると2年生となった2002年の秋からエースとなると、140km後半のストレートとフォークボールでプロのスカウトも注目する投手となった。
3年生となった2003年の夏の選手権神奈川大会では、甲子園が期待されたが、準決勝の横浜高校戦で6安打2失点に抑えながら、味方が完封されて敗退した。
東海大学では140km後半の速球は期待されたものの、2年生までは活躍できず、3年生となった2006年の秋に8試合を投げて4勝3敗、防御率1.77でリーグ4位の成績を残したが、その後は目立った成績を残していない。
七十七銀行に入行すると都市対抗では登板がなかったものの、日本選手権では1回戦の日立製作所戦で5回途中から登板し3回を4安打1奪三振で無失点に抑えた。
2年目となった2009年の都市対抗東北2次予選ではJR東日本東北戦でリリーフとして2回1/3をノーヒットに抑えて無失点、TDKを相手に3安打7奪三振無四球完封勝利と活躍し敢闘賞を受賞した。
本戦では、1回戦のJR北海道戦で先発すると4回で8安打を浴びながら4三振を奪い粘りのピッチングで1失点に抑えて降板した。2回戦の日立製作所戦でも先発し3回2/3を投げて5安打2四球と苦しみ降板した。
日本選手権の東北最終予選では再びTDKと対戦、好投し相手を無失点に抑えて降板、チームは0-0のまま延長13回にサヨナラで敗退した。
3年目となる2010年はエースとして、都市対抗2次予選でもJR東日本東北戦で1失点完投、日本製紙石巻戦でも好投しながら勝利は得られなかったが、第2代表決定戦ではリリーフとしてチームを本戦に導いた。
本戦では1回戦でNTT東日本と対戦、延長10回まで1失点で投げぬいたが11回にタイブレークでサヨナラ負けを喫した。10回1/3を投げて5安打4四死球7奪三振という内容で、145kmを計測するなど、エースとして自立した投球を見せた。