中林伸陽選手の実績
東京都出身で小学校2年生から野球を始めると、奥沢中学校では世田谷西シニアでプレーし、3年生の時に全国大会で優勝を果たした。
慶應義塾高校に入学すると1年生の秋からエースとなり、2年生となった2004年の秋季大会では関東大会ベスト8まで勝ち上がった。
3年生となった2005年のセンバツ大会では1回戦で関西高校に8-7で勝利すると、2回戦では福井商と対戦、林啓介投手(2007年千葉ロッテ・高校生2位)と投げ合い3-1で勝利を収めた。準々決勝の神戸国際大付戦では失点を重ね15-1で敗れた。
夏の選手権神奈川大会では4回戦で横浜高校に2-1で勝利すると、5回戦の茅ヶ崎戦を3-2、準々決勝の平塚学園戦を4-3、準決勝の東海大相模戦を2-1(延長11回サヨナラ)と1点差でものにする粘りの投球をみせた。
決勝の桐光学園戦では疲れから5-11で敗れた。
ドラフト候補に名前が挙がるも肩のケガもあり慶應大学に進学を決める。
大学1年となった2006年は、肩、肘のケガで登板をしなかったが、2年生となった2007年にエースの加藤幹典投手(2007年ヤクルト・大社1位)に続く2戦目の先発として、春3勝2敗、秋3勝1敗を挙げ、秋季リーグ戦では防御率1.29とリーグ2位の成績を残した。
3年生となった2008年はエースとなり、春3勝3敗、秋3勝1敗を挙げるも優勝はできなかった。
4年生となった2009年の春は2勝5敗、防御率3.26と入学依頼最悪の成績になり、エース失格と言われたが、夏に奮起すると秋季リーグ戦では147㎞をマーク、防御率こそ3.13という内容だが、持ち前の粘りの投球が戻り、6勝3敗の成績を残した。
ドラフト会議では上位に名前が挙がっていたものの、プロからの指名は無く、JFE東日本に進む。
JFE東日本1年目の2010年は大学時代に早稲田大学のエースでライバルだった須田幸太(2010年横浜1位)がおり主に中継ぎでの登板だったが夏前に肘のケガを再発させてしまった。都市対抗予選では登板ができなかったものの、都市対抗本戦には間に合い、準々決勝の東芝戦では4回2アウトから中継ぎで登板した。5回6回を3奪三振と好投、7回に2本のヒットを浴びて2アウトの場面で交代するも、社会人全国大会での経験を積んだ。
2011年は須田が抜け先発として登板するようになると、スポニチ杯1回戦のセガサミー戦では7回3安打1失点の好投で2-1で勝利した。