十亀剣選手の実績
愛知県出身で中学校では豊田シニアでプレーしていた。
愛工大名電に入学すると速球派投手として注目されたが制球に課題があり、サイドスローに転向した。
2年生となった2004年はセンバツ大会で準優勝したものの、丸山貴史投手(2004年ヤクルト6位)と同級生の斎賀洋平投手(現JX-ENEOS)がおりベンチ入りは成らなかった。
3年生となった2005年のセンバツ大会に出場すると、準決勝の神戸国際大付戦では6回から登板し、6回は四球から1アウト満塁のピンチになったものの、そこからキレの良いスライダーで空振り三振、左飛に打ち取り無失点に抑え、7回以降は直球と変化球の緩急に、内外角のコースをうまく使い打者の打ち気をそらせて、9回裏に1失点を失ったものの4回1失点の好リリーフで8-6で勝利した。
決勝は創部2年目で旋風を巻き起こしていた神村学園と対戦、エース斎賀が完投し優勝を果たした。
夏も甲子園に出場を決めると1回戦で古川秀一投手(2009年オリックス1位)の清峰と対戦、2-2の7回から登板しお互い得点を許さず延長戦に入ると13回に相手投手の古川に2点タイムリーを打たれ、2-4で敗れた。
日本大学に入学すると、即戦力として1年生となった2006年の春季リーグ戦からリリーフとして登板、秋季リーグ戦では9試合に登板した。しかし、チームは最下位となり、入れ替え戦で敗れ2部に降格してしまう。
2年生となった2007年の春季リーグ戦では2部で7試合に登板して防御率1.73と好投するも、秋は故障からフォームを崩し1試合に登板にとどまる。チームは1位となり入れ替え戦で再び1部リーグへ復帰した。
3年生となった2008年は1部リーグで春季に6試合、秋季に4試合に登板するも再び2部に降格してしまうと、4年生となった2009年は先発となり、2部で春季2勝3敗、秋に4勝4敗という成績でチームを入れ替え戦にも導くことができず、学生野球を終えた。
JR東日本に進むと、1年目の2010年には都市対抗に出場し、1回戦の日本生命戦では7-4の8回から登板し145㎞のストレートとサイドからのスライダーで1回を1安打1四球も無失点に抑えた。2回戦では登板せずチームは敗れた。
2年目となった2011年のスポニチ大会では初戦の日通戦で先発すると9回を7安打1失点に抑えて降板した。チームはタイブレークで敗れた。
巨人とのプロアマ戦では中継ぎで2試合に登板して3回で5安打2失点も、サイドスローからの速球に巨人スカウトが注目している。