小林誠司選手の実績
大阪府堺市出身、小学校2年生でソフトボールを始めると赤坂台中学校では大阪泉北ボーイズに入団し投手としてプレーした。
広陵高校に入学すると野村祐輔など強力な投手のライバルがおり、遠投115mの強肩もあって1年生の冬に投手から捕手に転向する。エース・野村祐輔(明大・2011年ドラフト候補)とバッテリーを組むと3年生となった2007年ではセンバツに出場する。センバツでは1回戦に唐川の成田高校を撃破すると、2回戦まで打撃ではノーヒットだったものの好リードで勝利を挙げる。しかし準々決勝の帝京戦では1回表に6失点と野村の乱れを押さえることができず、2ベースを2本はなったものの1-7で敗れる。
2007年夏の甲子園にも出場すると、1回戦で前年準優勝の駒大苫小牧と対戦、9番で出場しノーヒットだったが勝利を収めると、2回戦の東福岡戦では3犠打を記録し14-2の大勝に貢献した。その後決勝まで勝ち進んだが佐賀北に逆転満塁弾を浴び逆転され優勝を逃した。14打数3安打だったが甲子園タイ記録の8つの犠打を決めた。
同志社大学に進学すると、1年生の2008年にいきなり先発マスクをかぶると、秋季リーグ戦では10試合に出場し打率も.318を残す活躍をみせた。
2年生になると好リードに加え肩の強さも見せ、エース藤井貴之や平川貴大をリードし春秋2位となり、大学日本代表にも選ばれる。
2009年11月22日に開催されたU-26NPB選抜と大学日本代表の試合では2番手捕手として出場し、広島も小窪のを刺し、打撃でもソフトバンク・大隣からヒットを放ち、プロ関係者に大きな印象を与えた。
3年生となった2010年は左手親指のケガにより4試合の出場となったが、秋季リーグ戦では正捕手として復帰すると12試合に出場して優勝に貢献、3本のスリーベースを放ち8打点を挙げるなど打撃でも活躍をみせている。