引退
ゴミ
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甲子園で輝く選手に、という思いを込めて甲輝と名づけられる。 4歳から富田林リトルで野球をし、中学では富田林シニアで硬式でプレーする。 中学2年に関西大会で優勝し、タイガースカップで準優勝と、投手としては140km近い速球、打者としても20本近くの本塁打を放ち、早くから雑誌や高校野球界から注目されていた。 中学3年時には世界パンアメリカユース大会に出場、メキシコ戦で先発し6回を3安打9奪三振で無失点、続くブラジル戦では抑えで登板したあと、キューバ戦で再び先発し、3回で3失点したものの5三振を奪うなど意地を見せた。 進路が注目されたが地元富田林のPL学園に進学。1年で4番を任され、また投手としての登板し142kmのストレートで相手をねじ伏せた。2008年夏の大阪大会では惜しくも準優勝だったものの秋は近畿大会で準優勝しセンバツ大会出場を決めた。 しかし秋ひじを痛めたあと、腰椎分離症で腰にも故障を抱え、2年生となった2009年選抜大会ではわずか1安打に終わり、2年生夏は不振でベンチに入ることも出来なかった。 3年となり、4番を任されるようになるなど徐々に復活し、2010年夏の大阪大会、今宮工科戦では通算27号となる本塁打を放ちチームを勝利に導いたが、その後足を捻挫した。 4回戦で履正社高校と対戦、4番として出場したが、打ち合いの末7-8で敗れた。4打数0安打だった。
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履正社高校との試合後、プロ志望届けを出すことを語った。 中学時代から注目され、PLでも1年生で4番を打ち清原2世と注目をされ続けてきた。怪我などの不運もあり思ったような活躍ができなかったが、184cmの体とパワーはプロクラスの選手である。ただし体が硬い印象もあり、プロでは柔らかさを身に付けてケガの減らすことが重要。ケガなく練習が続けられていけば、持ち前の能力を発揮できるようになるだろう。