牧田和久選手の実績
静岡県出身で静清工高校に入学するとアンダースローに転向した。
平成国際大に入学すると2年となった2004年の春季リーグで6勝を挙げて最多勝利投手となると日米大学野球のメンバーにも選出され、試合でも先発をまかされて5回途中まで1失点の好投をみせた。
4年生となった2007年春季リーグでも6勝で再び最多勝利投手賞、秋季リーグでは最優秀防御率を記録した。
ドラフト会議での指名は無く、日本通運に入社すると、1年目の2007年都市対抗では1回戦のNTT信越クラブ戦で2番手として登板し、2回1/3を2安打1失点という結果だった。
日本選手権では2回戦の東京ガス戦で先発を任されると6回で8安打を打たれるも6奪三振で2失点にまとめ勝利に貢献した。
2年目となった2008年の都市対抗ではJR北海道戦で劣勢の場面からの登板であったが2回1/3を投げてノーヒット3奪三振のピッチングを見せ、エースとしての期待が広がったが、日本選手権で右足全十字じん帯を断裂し、その後1年間は登板ができなくなる。
3年目となった2009年の日本選手権、NTT信越クラブ戦で復活の先発登板をすると7回で11奪三振無失点の投球をみせた。
4年目となった2010年はエースとしてスポニチ大会では明治安田生命戦では8者連続奪三振を記録するなど手が付けられない投球を見せ、7回コールドだがノーヒットノーランを達成した。
都市対抗では1回戦の日本新薬戦で9回を4安打7奪三振で無四球完封勝利、続くJR九州戦でも9回7安打1失点に抑えたものの、延長10回に2点を失い敗退した。9回2/3で10安打5奪三振。
日本選手権では、1回戦の大阪ガス戦では岩見投手(2010年広島3位)と投げ合い8回3失点も不満の内容だった。しかし2回戦のJFE東日本戦では7回1/3で8安打も6奪三振で1失点と納得の内容で西武スカウトにもアピールした。