石川慎吾選手の実績
大阪府堺市出身で、東陶器小学校3年生で父佳二さんが経営する飲食店の常連客によって「野田ホークス」に誘われ野球を始めた。
小学校5年生の時の野球教室で清原和博氏に「ええ筋肉してる」と褒められたが、その年の試合で三塁走者の石川慎が本塁に突っ込んだが、球審は捕手の落球に気付かずアウトの判定。チームの恩師がそれを指摘した際に首の後ろの血管が切れ、闘病もむなしく帰らぬ人となった。いったんは野球をする気力を失ったが、周囲の説得もあり野球を続けると、中学校では強豪・ジュニアホークスボーイズで全国大会に出場した。中学校3年生で背筋235kgを記録するなど、強靭な身体でパワーのある打撃をみせた。
東大阪大柏原高校に進学すると、1年生となった2009年の夏の選手権大阪大会ではサードでプレー、主に3番をまかされたが7打数2安打1打点に終わり、チームも4回戦の大商大堺戦で敗退した。
2年生となった夏の選手権大阪大会では4番を任されたものの、初戦の今宮工科戦に敗れた。
3年生となった2011年春季大阪大会では3回戦の同志社香里戦で4打数4安打をマーク、高校通算本塁打を55本に伸ばしている。