2年生から強豪チームのレギュラー捕手として、5番打者としてチームを引っ張った。強打に注目があつまるが、肩も強い。 2010年夏の選手権では3試合で12打数3安打。4回戦でチームは敗退した。
2007年に千葉ロッテ育成枠5位で指名された大谷龍次外野手(日立製作所厚木の軟式出身)の弟、小学校1年から野球を始める。 俊足強打の選手として2年生で樟南の1番遊撃手を務め甲子園に出場したもの
愛媛県出身で小学校4年生からまずはソフトボールを始める。 済美高校に入学すると、1年生の2004年夏の選手権全国大会で代打で甲子園デビューを果たした。 秋から4番を任されると、パワフル
神奈川県生まれ、小学校2年で野球を始め、南林間中では2年時に全国大会ベスト16の成績を残す。 向上高校では神投手(神奈川大)、安斉投手(横浜ベイスターズ)などの控えとして1年秋からベンチ入りし、2
中学時代は大分西南リトルシニアで硬式でプレー、内野手として活躍した。 強肩強打で守備範囲が広く、深い位置からスローイングなどが注目された。また打撃でも大分県屈指のスラッガーで2年生では早くも
3年生となった2010年夏の福井県大会で開幕試合となる1回戦の科学技術高校戦、先発して6回5安打1失点に抑え勝利、つづく優勝候補の福井工大福井戦でも6回を3安打無失点に抑えている。試合はリリーフ投手が
神奈川県茅ヶ崎市出身、2時間をかけて川崎北高校に通う。 サイドスローからのスライダー、シンカーが武器で、春季大会では向上の中野投手と投げ合って勝利するなど、神奈川の強豪校を相手に好投を見せ、
大阪・泉佐野ボーイズから光星学院に入学した。 下沖投手などエースがいる中で登板ができなかったが、2年秋の新チームとなり練習試合で143kmをマークしてエース格となった。 五所川原工戦で4回
低めに伸びる151km/hの速球で、日米大学野球では4試合にリリーフ登板して1点も与えずMVPに輝いた。ナックル、スライダー、カット、ツーシームなど多彩な変化球も操る。 東京都出身で尾久八
チーム1の長打力を持つ4番打者。
2010年の夏の甲子園では、雰囲気に飲まれて1回に3点失点、2回にノーアウトで3失点と苦しいピッチングだったが、その後はそれまでとは違ったストレートの伸びで130km後半、カーブも腕が振れて空振りを取
千葉県千葉市出身、幼稚園から野球を始め小学校5年で左打ちに転向。投手をしていたが磯辺二中時代に千葉西シニアでプレーし、打撃センスと強肩を買われて外野手に転向した。 習志野高校に入学すると、低く
帝京第五高校時代からプロが注目していた投手。 腰痛で2年までは登板できなかったが、2009年(3年)になり防御率0.50をマークするなどブレークした。2010年(4年)春は5勝0敗、39イニン
神奈川県川崎市出身、小学校1年から野球を始め、土渕ブルーキングスで軟式でプレー。中野島中学では青葉緑東リトルシニアに所属して硬式でプレーした。 投手、外野手として、中学2年時の選抜大会で全国制覇、
全国でも屈指の打者。左右に安打を打ち分ける打撃と、145kmをマークする強肩はノーステップでも遠投90mを誇る。打率は常に4割を越え、通算本塁打は18本。
結城南中学時に軟式野球で茨城大会で投手、捕手として活躍し優勝を果たした。つくば秀英高校では2年ではフォームの不調や怪我もありリリーフとして、また内野手として出場をし、霞ヶ浦高校戦では満塁本塁打を放って
知多東浦リトルシニアで副主将として活躍をみせた。 菰野高校では2年からエースとして登板し、四日市工業戦ではリリーフで登板し延長14回の死闘で力を発揮、結局11回を6安打2失点に抑え、12三振を奪っ
大分シニアで活躍したあと、大分工業に入学する。 2年夏の大会でエースとなったものの2回戦で敗退。 秋の大会で楊志館高校を相手に9安打を打たれるものの13奪三振で2失点に抑え勝利すると、続く中津
三重県四日市市出身で、小学校1年生から軟式野球を始め、投手、内野手、外野手とあらゆるポジションでプレーをし、6年生で四日市トップエース入団する。 笹川中学校でも四日市トップエースの中学部に上がり硬
兄は2008年に西武ドラフト1位指名を受けた中崎雄太投手。 財部中学校時代は都城リトルシニアに所属し硬式でプレー。135kmをマークするなど兄以上の逸材として注目を集めた。 兄と同じく日南